毎日 鉛筆と消しゴムをもち、 ノートをひらき 「書く&消す」をくりかえす。
それが 普通の教室での学びの風景だと思います。
黒板を書き写す、自分の意見をノートに書く、連絡帳に明日の予定を書く。。。すべてを鉛筆と消しゴムと紙のセットでこなしています。
それに加えて日本では 「お習字」「書写」という学びの時間があり、
内容ではなく 文字の形そのものを 丁寧に書き写すことに とても重点を置いています。
「文字は人を表す」というコトバもありますよね。文字のきれいな人は 特別な人格者?として一目置かれることさえあります。
しかし、日本社会全体があまりにも「手書きの美しさ」を求めすぎていないか?
ときどきそう考えます。
もう20年以上も前になりますが、アメリカの子供たちが読んで大きくなるCTP(Creative Teaching Press)という出版社がだしている絵本の
"I Can Write"
をよんだとき、私はあるページに「あれ?」と違和感を覚えたことを思い出しました。
『歩道にチョークで字をかけるよ! 黒板にも書けるよ! 誕生日カードを書けるよ!
絵葉書きも書けるよ!
最後に コンピューターでも書けるよ!』
そこには子供がパソコンの画面に向かってキーボード入力をしている写真がありました。
そのときの私は
「へーwriteなのに、自分の手で書いていない。これでも「書く」ということなのかな?ちちょっと違うんじゃないかな?」
と、違和感のようなものを 写真から感じたのでした。
書くこと=筆や鉛筆やペンで書くこと
という古い価値観、教育観に私は縛られていたのです。
でも、今はそのころの自分に「喝!」を入れたい!!!
キーボード入力、点字入力、音声入力、手話入力(あるのかな。あてほしいな)
すべては「書くための手段」そのものです。
あの絵本にでてくる写真にも I can wite on tne computer. と書いてありました。
もちろん
書くことは 先人の知恵を学ぶこと
という価値観があってもいい。写経で心を落ち着ける 書道で気持ちが整う、そういう書くがあってもいい。
でも、そもそも学校で なぜ書くことを学ぶのかを 今一度考えたい。
書くことは 情報を忘れないために記録しておくこと
書くことは 自分の考えを記録しておくこと
書くことは それらをほかの人に伝えること
書くことは ほかの人をもっとしるためにたずねること
書くことは 自分の考えをまとめること
書くことは 自分を励ますこと
書くことは 自分をすきになること!
みんなが「書くことは楽しいね!」という日が来ますように!
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